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2014年 待降節黙想講話(要旨)

神さまとの関わりの回復 …… 創世記の3章をもとに
浦野雄二師(東京教区司祭)

 今日は、皆さんよくご存じの創世記の三章をテキストにしながら、私たちと神さまとの関係を読んでいきたいと思っています。読むと、なんで蛇が賢いのかとか思いますが、聖書の世界の中で、蛇は命のシンボルです。この三章では、命が一つのテーマになっています。神との関わりが壊れてしまうことによって人は命を失うのです。

原福音

 蛇のアプローチは意地悪です。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」と言われて女は食べてしまいます。そして一緒にいた男にも渡したので彼も食べた。そのことによって神の創造の業が否定されます。神の創造の姿が裸に象徴されています。それが嫌なものになったのです。決定的な罪は、神の創造に対する抵抗であるという大きなテーマがここにあります。
 この話は100%人間に過失があります。約束を破ったのですから。破っただけではなくて、「ごめんなさい」と言えば良かったものをあの言い訳です。「食べました」と言わずに責任を全部他になすりつけている。それに対して、神さまはどうしたかというと、言い訳をして責任を認めない人間ではなくて蛇に怒りを向けています。「自分にとって大切な人間をよくも自分から引き離したな」と。
 創世記の3章15節は「原福音」であると説明されます。「原福音」とは、いちばん古い最初の福音という意味です。この創世記3 章15節は、大ざっぱに言うと「神の似姿として創造された」という言葉で表現されているこの大切な存在である人間を、よくも自分から引き離したなという思いからくる、蛇に対する神の挑戦状みたいなものです。木の実を食べてしまったことによって、神と人間とのあいだに決定的な分断が起きてしまった。それに対して「いつかもう一度、おまえによって壊されたものを作り直すぞ」と宣言しているのです。創世記3章は、女、アダム、蛇、女、アダムという構造になっていて、ちょうどサンドイッチのようです。ですからこの話のポイントは蛇に向かって言うことばです。

もう一つの約束へ

 創世記3章15節の、神さまの二つの約束のうちの一つの実現の時がクリスマスです。でも、もう一つはまだです。私たちのなかに悪への傾きは残り、世界は争いを繰り返し、強い者が弱い者を虐げている状況に変わりはなく、ますます悪化の道を辿っているかもしれません。しかし、もし神さまが二つの約束のうちの一つを守ってくれたとすると、もう一つがまだ実行に移されないなか、私たちはどう生きるのでしょうか。「一つは守ってくれたけれど、そのあとちっとも音沙汰がない」と思うのでしょうか。それとも「時間がかかって一つの約束を守ってくれたのだから忘れているはずはない」と思うのでしょうか。
 神さまはいろんな形で私たちに呼びかけています。私たちの気づきを待っています。私たちに神さまがご自分の賜物である命をくださいました。今命をいただいている、その命が面倒くさかったり、やっかいなものだったりするかもしれない。でもその道筋の中で何が希望になっていくのか、それが私たちの毎日の信仰生活のなかでの課題です。神の呼びかけを受け取りながら、それに対して全く無力です。体は一つです。できることは限られています。でも、神さまは何を呼びかけているのか、何が私たちの希望なのか、本当に希望なしに私たちは生きてきたのか、それを毎日の信仰生活の中で向き合うテーマとしていきましょう。
 もう一つ、そこに教会というものの役割が出てきます。アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからです。主なる神はアダムと女に皮の衣を作って着せられた。この話は創世記の2 章からつながっています。「あなたがともにいるようにしてくださった女が」と言った同じ口が、次に、自分が失ったものを愛おしむかのように「エバと名付けた」とあります。「神さま、さっきはあんなことを言ってごめんなさい」といっている感じではないでしょうか。エデンの園から追放されるにあたっても、なおかつ神はアダムと女への配慮をし続ける方としています。

ミサ

 教会は人の集まりなので、難しい部分がたくさんあります。気の合う人、合わない人もいるし、ある出来事がきっかけになって傷ついてしまうこともある。でも、ミサではやはり神さまが待っているのです。ミサとはそういうことだと思います。神さまが待っている。イエスさまがご自分を私たちに与え私たちと一つに結ばれたいと思っている。そこで私たちが何かをいただくということではなくて、神さまが待っているからミサに来るのです。私たちのためではなくて神さまのため来るのです。そして神さまはそれを喜ぶのです。私たちは何もできなくて、神さまに反抗し続けているかもしれないけれど、たったひとつ、神さまを無条件で喜ばせることがあります。それがミサです。
 今日ここにいることへの感謝、そしてそのことをどんなまなざしで見ているのか、神さまの姿を思い起こしながら沈黙の祈りをおささげして結びたいと思います。

〔2014年11月30日 関町教会聖堂にて・『こみち』264号より〕