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2011年 待降節黙想講話(要旨)

希望に満ちたザビエル
トマス・エセイサバレナ師(イエズス会)

 私は64年前の1947年、日本に来ました。ちょうど練馬区が板橋区から分かれて独立した年です。今は石神井のロヨラハウスに住んでおり、この辺りもときどき散歩していますが、関町教会を訪れるのは実は初めてです。機会をいただき感謝します。
 ザビエルと同じバスクの出身です。ザビエルの名前は本来のバスクの言葉では「シャビエル」です。ザビエル城には日本に来る前に行ったことがあり、また2006年ザビエル生誕500周年の年にも行きました。きょうは、待降節のための黙想というテーマを考えながら、ザビエルについてお話ししたいと思います。
 ザビエルのことを知らない日本人はいません。初めてキリスト教を日本に伝えた人として有名です。しかし、それだけでなく、ザビエルは望みの人、希望に燃えた人、希望に満ちた人であるということを考えたいと思います。

 微笑むキリスト
 ザビエルの父親は、バスクでもフランス側の出身の貴族。母はスペイン側の貴族の家柄で、ザビエル城は実は母の嫁入りのときの持参品でした。5人兄弟でザビエル(フランシスコ)は兄2人、姉2人をもつ末っ子です。当時、スペインは一つの王国になろうとしているところで1515年ナバラ王国を併合します。そのさなか父は死に、長兄ミゲルはスペインへの抵抗運動の先頭に立ちます。激動のただなか広いお城の居間には母とおばとザビエル(フランシスコ)だけしかいなかったという時期もあったようです。
 そのザビエル城の出入口近くに小さな祈りの部屋がありました。そこには、十字架に付けられているキリストの像がありました。不思議とそのキリストは苦しむなかにも微笑んでいたといいます。これは幼少のザビエルにとっても深い印象を残したようです。後の彼の手紙の中にも、苦しい時、寂しい時にもどこか希望する気持ちが感じられます。このことは待降節の心に通じていると思います。
 さて、ザビエルは19歳になって、高位聖職者となるための道を目指し、パリ大学に行きます。青年が抱く大志をもって勉学に励んでいたようですが、4年哲学課程を学んだ頃、少し年取った学生が同僚となりました。イグナチオ・ロヨラです。彼は戦争に出て、回心を体験していた人でした。彼はザビエルのうちにすばらしい宝を見いだします。そして、「たとえ出世しても、魂を失ったら何になるか」と、ザビエルに生き方への問いを鋭く差し向けました。そのようなイグナチオの影響を受けて、ザビエルは1ヶ月の黙想をし、ついに彼の仲間になります。
 人は皆神様から自然な力を与えられています。それがどのように超自然の力になるかということが、このようなザビエルのイグナチオとの出会いから示されていると思います。私たちにも、何らかの力が神から与えられています。それを神のみ旨にこたえて充分に使っているでしょうか。

 神のみ旨に生きて
 さて、ザビエルはインドへの宣教に派遣されることになりました。航海の途上、船では一番底のほうにいる最も貧しい人たちと一緒にいて、病気の人の世話をしていたそうです。そんな人です。彼はやがてマラッカで宣教をしているときに、ひとりの日本人に出会います。アンジロウまたはヤジロウと呼ばれる人です。この出会いについてザビエルは手紙(1548年1月19日付、書簡59・15以下)で触れています。「彼はかなりポルトガル語を話すことができますので、私の言ったことを理解しましたし、私もまた彼の話しが分かりました。もしも日本人すべてがアンジロウのように知識欲が旺盛であるなら、新しく発見された諸地域のなかで、日本人はもっとも知識欲が旺盛な民族であると思います」
 このような出会いから、ザビエルは日本に行く望みを強めていきます。「その渡航はたいへん危険で、……たくさんの船が難破していますけれど、それでも私たちは行きます」。ザビエルは苦難の中でも、神への信頼のうちに祈り、神のみ旨を尋ね、それが自分にはっきりわかると、それに対して全面的にチャレンジしました。
 ザビエルは、日本滞在はわずか2年ほどでしたが、それはインド管区長としての任務があったからで、その一環としてやがて中国宣教に向かいます。そして中国大陸を目前にしてサンシャン島で従者がただ一人いるだけの寂しい死を遂げます。そのとき……伝説ですが……ザビエル城の祈りの部屋にあった十字架のキリストが初めて泣いたそうです。
 私が子どものときに見たザビエルの生涯についての劇では、ザビエルが最期に発した言葉がこのようになっていました。
「私は神にのみ希望をおいている。わたしは動揺はしない」(詩編62・6-8より)
 これは劇作者がつくったセリフですが、ザビエルの心をよく表していると思います。
 ザビエルは46年の生涯、11年の宣教活動、2年ほどの日本滞在をとおして、神のみ旨を果たしました。その生涯からは、待降節のもつ「待つ」という意味が示唆されると思います。私たち一人ひとりが神から恵まれている自然の力を大切にしつつ、神に信頼し、そのみ旨を求め、それを果たしていくこと……私たちが「ザビエルのように」というときにならうべきものがそこにあると思います。

〔2011年11月27日・関町教会聖堂にて・『こみち』251号より〕